赤ちゃんできちゃった!!(T▽T)
ドッキリ体験記

驚きでした。
まだ結婚するつもりはなかったし、赤ちゃんを作るつもりもありませんでした。
まだまだ仕事を続けて、お金を稼いで自分のやりたいことをやって、
旅行もして勉強もして
順序を踏んで結婚式を挙げ、精神的にも大人になって万全の心の準備と
子供のためにしてあげられる経済的な準備、環境を整えてから・・・と
漠然と将来設計を夢見たりもしていましたが。
一応ちゃんと、避妊にも気をつけていたつもりでした。

しかし、やっぱりどんな偶然でも、人間にはそういう運命めいたものが
あるのかなと思います。

さいしょちょっと具合が悪くて、生理も遅れていたので
まさか・・・・・・と思いながらも
ふと虫の知らせのようにドキドキ胸騒ぎがして
自分で調べてみたんです。
結果は陽性でした。
すごくあせって、色々な人の顔が頭に浮かびました。
彼氏、両親、職場のこと。やっと仕事に慣れてきていろいろ先輩たちも
教えてくれていたのに、ここで私がリタイヤすることになったら・・・
その頃、私は会社の寮に先輩たちや同期生、後輩たちと一緒に住んでいました。
職場は多少気力体力を要することで、2、3年目などではまだまだ半人前
なので妊婦さんの状況では難しかったのです。

そして、彼氏もなんだかんだ言ってもまだ若いし・・・いっこ下なんですけど
そんな・・・でもでもでも

いろいろな思いが頭を駆け巡り、とりあえず彼氏のところにメールを。

まさか、もしかして彼も気が動転して、おろしてくれ〜〜とか考えさせてくれ
なんて言われたらどうしよう。
急なことだから仕方ないかもだけど立ち直れないかも。


「おどろかないでね!!(><)」

「どうしたの?何かあった?」

「あかちゃん、できちゃったみたい!(T-T)」

なんて単刀直入なメールでしょう。

ドキドキしながら彼の回答を待ちました。

「あれー。ほんとに?なんでわかったの?」

「検査薬で陽性が出た。病院で調べてもらわないとわかんないけど」

「おおーーー。とうとうそのときがきたかー。すごい確率だ。
たいへんだけど、まあ、頑張ろう。ヒヨコマーク」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
え!!?(T▽T)それだけ?大丈夫?わかってんの!!?
この、事態の重さが!!
ほっとしたというかなんというか。心配になりました(−−;)
私でさえ戸惑ってるのに。
もし、ほんとにいたらどうしよう・・・いる確率が高いけど!!!
私育てられるの!!?
人が一人生まれて来るんだよ!!?不安でいっぱいでした。
周りにも、申し訳ないような、そんな気持ちで・・・・・

母にも電話しましたが、困惑しているようでした。
「そんな、自分からおろしちゃったりするのも、罪作りな話とはいうけど・・・。とにかく、
病院へ行ってみないと・・・・・。」


そして、病院へ。おなかの大きい人がいっぱい来ていて、
なんだかすごいなあ〜〜と感心してしまいました。

はじめての内診でなんだかキハズかしかったり、
診察までは色々緊張していた私でした。が、
診察室を出てきて旦那のところに戻ってきた私は無表情で蒼い顔を
していたそうです。

「どうだった?」

「あとで話す。」

お金を払って病院を出た旦那と私。

「どうだったの?どうしたの?」

その声を聞くやいなや、私は泣き出してしまいました。

「あのね・・・あのね、もう、子宮はだいぶ厚いはずなのに
まだ赤ちゃんの袋が見当たらないんだって・・・もしかしたら
しらないうちに流れちゃったかもしれないんだって・・・・・ほんとに、
そうだったらどうしよう・・・」

さっきまで、赤ちゃんいたらどうしよう・・・と悩んでいたのに。
なぜか赤ちゃんいなかったらどうしよう。と。
その瞬間私は、もし小さい命が私の不注意で消えてしまっていたら
・・・・・・こんなつらく悲しいことはない、と思ってしまっていたのです。
人の気持ちって、勝手ですね・・・。

旦那は「大丈夫。また出来るんでしょ?」と
ただそれだけ言って、私の頭をなでてくれていました。

(後で母などに聞いたり本でわかったことですが実際にこの時期は受精卵の
異常など赤ちゃん側の問題で、初期流産することはよくあることだし(母も経験者)
気づかない人もいるぐらいで
いわゆるたまたまご縁がなかった卵であり、全く気にすることはないとのことですが。
世の中のママの10〜15パーセントぐらいは経験者ということです)

無知な私にとってはさらなる大きな不安でした。
赤ちゃん、産みたい!!!産みたいったら産みたい!!!(突然)

また3週間後に来てくださいといわれ、それからの3週間は
待ちどおしくドキドキの3週間でした。

そして、3週間後。

「あ〜やっぱり、赤ちゃんいますね〜〜〜。コレ。」

先生の見せてくれたエコー映像には、ちっちゃなちっちゃな赤ちゃんの袋と
芽がうつっていました。

「あ〜〜〜ほんとに、いたんだ〜〜〜〜」
何故だか目頭があつくなってしまいました。

嬉しさ、安心とともに・・これからの不安・・・いろんな思いがまたもや
頭を駆け巡りました。

でも、小さな小さな命を育てていくのが、今私にできる唯一のことだと
そのときは思えるようになっていました。
旦那は笑顔で診察室を出てきた私を見て、顔を少しほころばせていました。

いろいろと心配したけれど、彼に対する心配は杞憂だったようです。私のように
気が小さい人間ではなかったということかもしれません。ただ
のんびりやなだけかもしれないですが^^;でもそのおかげで、私は救われました。
動揺する性格の私といっしょに動揺してしまう彼であれば、気が気じゃなかったに
違いありません(笑)もちろん、時間をかけてお父さんになってくれれば
最初はどうでも結果オーライなんですけど。でも私は心配性なので(T▽T)

最初に電話したとき困惑していた母まで、
「よかったね〜〜〜」と何故か
そのとき電話口のむこうで泣いていました。

職場の人に話したときはやはり緊張しました。

上司の人の顔はこわばっていたし、とても深刻な感じでした。妊娠と言う
現実に対して、私の置かれた仕事上の立場はそういう立場でした。

「子供産みながら、続けるのは大変だけど、頑張ろうよ」
と言ってくれた先輩たちもいて、とても嬉しかったです。私の立場を守ろうと
奔走してくれました。
私の周りはみな優しかったように思います。

でも、他の人から、その面倒を見てくれた先輩たちも相当私のことで色々
言われてる、叩かれてるんだということを聞き、仕方のない事ながら
ショックでした。。。縦の関係や教育が重んじられる職場でしたので
十分あり得る話でした。
そのうち、週数にしては腹が大きすぎる、目立ちすぎる、周りに気を使わせると
色々な私に対しての意見がどこからか聞こえてくるようになりました(T▽T)

そんなことはもう、私にはどうでもよいことでした。ただ周囲の人に
これ以上迷惑をかけたくない気持ちと、 仕事場はちょうど改編の大きな山場を迎えて
盛り上がり残業残業の毎日であるというのに、尻すぼみになるかもしれない私の
仕事ぶりではとてもついていけない。私が弱いだけかもしれませんが。
しかも
旦那は長期出張の辞令が出て、春までは帰って来れなくなることになりました!!
さいあくだ〜〜〜(T▽T)ガビーン
わたしをひとり残していくことを旦那はとても心配していました。

そして、実家の母が長い持病の治療薬の副作用で
うつになっていると診断されていると聞き、私の不安は倍増していったのです。

(−−;)(−−;)(−^−;)

もう、とにかく全てを整理したい。
もう、文句や揶揄のなるべくすくないところで赤ちゃん、大切に大切に
純粋に幸せな気持ちで産みたい。
母の様子を見たい。
桜が咲いて、旦那が帰ってくるまで、実家に帰りたい。
その気持ちが私に退職を決意させました。

私の人生にとって絶対必要条件だった職業婦人(?)。
しかし、今はお休みの季節なんだと思いました。

ほんとうに、周りの先輩らや同期生には心配してもらって、でもさいごに
お祝いや餞別のプレゼントまで頂いて、励ましてもらって、申し訳なさと
嬉しさとでいっぱいでした。

これを書いている今。もうすぐ、9ヶ月。すくすくおなかの中で育つ
新しい命の存在を強く感じます。
ありがたいことに母の具合もだいぶ良くなってきたようです。

なんて不思議なことなんだろうと思います。自分のなかから
また新しいべつの人間が生まれてくるなんて。
赤ちゃんは産まずに、自分たち(大人たち)の生活を充実させて、何かを成し遂げたり
仕事であるとか、趣味であるとかを持続させたりして頑張るのも
尊い選択だし、その他の色々な事情がゆるさないから産めない、
または産んでも育てられないから産めない
という人もいると思います。それぞれの道でそれぞれの幸せがありますよね。
自分たちの考えや生活が何よりもまず、いちばんですから。

でも、私のように偶然その時が来たにしろ、
努力して努力して赤ちゃんを授かる時が来たにしろ、
もし大切な大切な小さなひとりの人間が生まれてくることになったなら、
いまは、それが何事にも代え難いとっても尊いことだと思うんです。
せっかくの赤ちゃんとのご縁、そこから広がっていく未来や可能性も
考えてみたらすごく素敵なんですよね〜〜〜。
新しい家族との出会い。
大切にしていきたいと思っています。

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